最近よくニュースで見かける老老介護、在宅介護絡みの殺人や自殺。
誰にとっても他人事ではありません。
不幸は閉鎖された環境で起きる
D V、殺人、自殺など、多くの不幸な出来事は、閉鎖された環境・人間関係で起こります。
介護に限定して言えば、相談する相手がいない、どこに助けを求めていいかわからない、子供が無関心である、そもそも身寄りがいない、など。
いろんなケースがありますが、一番大きな原因は「介護が必要であることを他人に知られたくない」という被介護者(介護される人)の気持ちです。
自分に介護が必要であることを認めたくない。
実際は配偶者や子供にケアしてもらっているのだけれど、自分でできていると思いたい。
そのプライドが外部の人間が関わることを拒み、介護者への負担をどんどん重くしていきます。
恥ずかさ・罪悪感が介護者を追い詰める
子供、子供や自分の配偶者など、特定の家族に介護を依存している場合がほとんど。
複数の兄弟や子供がいたとしても、実際に介護を担うのは特定の誰かになる場合が多いでしょう。
介護者が疲れ果てて市町村の包括支援センターに相談しても、被介護者は頑なに福祉の支援を受けることを拒みます。
本人が困るまで放置すれば受け入れるのかもしれませんが、実際そんなこともできないでしょう。
支配的な親や配偶者であった場合、わがままに振る舞うことがデフォルトなので、それに従う子や配偶者は基本的に言いなりになります。
本人ができないこともわかっているので、今まで以上にあらゆる要求に応えようとして、最後は力尽きます。
介護者の方も罪悪感と葛藤します。
介護を他人の手に委ねるのは、自分が義務を果たしていないのではないか。
自分は仕事を辞められない。仕事を続けるのは自分の我儘なのか。
人間として自分の行動は間違っているのではないか。
家族の他のメンバーが全く非協力的であっても、特定の介護者だけが悩みを抱え込むのです。
とにかく相談してみる
介護保険のシステムは素晴らしいものだと思います。
保険料を支払っているのだから、受けられるサービスは最大限に享受すべき。
介護に限りませんが、生活困窮の場合など、何か生活の悩みがあれば、まず役所へ相談に行くと良いです。
必ずどこか必要な部署に回してくださり、適切なサポートや窓口を紹介してくれます。
自分がサポートを必要としているなら素直にサポートを受けられるのですが、介護の特殊な問題は、被介護者がサポートを拒絶すること。
どんなにいいサービスがあっても、被介護者が受け入れてくれなければ使えません。
この特殊な性質を鑑みて、地町村の福祉課も、介護サービスをスムーズに「享受」開始できるよう、「介護者」を含む初動支援を強化していただきたいと思います。
子育てと同じようにオープンに
結婚した、妊娠した、出産したという喜びごとは、自ずから色んなところで宣伝します。
しかし、入院した、痴呆になった、介護しているなどの話は、子育てほど公言されないのではないでしょうか。
友達なり、仕事の人なり、家族以外の誰かに話してみると、意外と有益な情報がもらえます。
「実はうちも・・・」と色んな話を聞かせてくれます。
自分だけが大変なんじゃない、そんな方法があったのかなど、とても参考になります。
家族にはいえない親や兄弟の愚痴なども、他人なら言えます。
私も親の検査で病院に付き添った時、同じように母親に同行してきた娘さんがいました。
母親たちは検査に入り、私たちは待合室で待機。
すると、その娘さんが「うちの母親ってさっきはあんなこと言ってたけど、実際は・・・」と溜まっていた愚痴を私に話してくれました。
他人(そして二度と会わない)だからこそ言えたのであって、私も各家庭で色んな関係性があるのだなと共感することも多く、とても有意義な時間を過ごしました。
ご近所に対しても、隠すことなくオープンにした方がいいです。
何かあった時に助けてくれるのは、遠くの家族より近くの他人。
周囲に気にかけてもらえるのが何よりの防犯にもなります。
第三者の介入は必須
子育てや教育の政策ばかりが取り上げられていますが、高齢化社会であることを忘れていませんか?
人口を増やすことが大切な一方で、圧倒的に多い高齢者が、これからどんどん介護を必要とします。
単身世代の介護も増えていきます。
労働世代の生産性を高めるには介護支援が欠かせません。
高齢者にばかり金を使うなという意見は、労働世代である「介護者」の存在を無視しています。
介護者が介護のために自分の残りの人生を諦め、被介護者が亡くなる時にはすでに自分も被介護者になっている・・・なんて最悪です。
介護には必ず第三者を巻きこむことが必須です。
現実問題として、介護士や介護施設が慢性的に不足しているそうです。
良い労働力を確保したければ給与・待遇の改善は必須。
介護・医療にもっと大量の予算を使ってほしいものです。
そのためには、子育て世帯が「子育てには金がかかる!」と叫ぶのと同じ声の大きさで、「介護には金も人手もかかる!」と「介護者」の大変さをもっとオープンにする必要があるのではないでしょうか。